消えた天使/原題:The Flock

三宮シネフェニックスにて。面白いし映画としては演出も良かったのだけど、人間の欲望に直に接したような気持ちになって怖かった。作中では説明はないのだけれどアメリカにはミーガン法(Megan's Law,Megan act)という、性犯罪者をさまざまなメディア、場合によってはインターネット上に公開する法律がある。本作はそのミーガン法により身元を公開された性犯罪者の監査官(主人公/リチャード・ギア)のお話。

怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵を覗き込む時、その深淵もこちらを見つめているのだ。
(フリードリッヒ・ニーチェ 『ツァラトゥストラはかく語りき』)

物語はこの言葉で始まり、この言葉で締めくくられる。監査官として性犯罪者という深淵を覗き込む主人公は、ちょっと頭がおかしくなっていた。再犯するやつは何をしても再犯する。彼にはその考えが根底にあり、夜中に性犯罪者を待ち伏せてバットでボコボコにしてしまう。
ミーガン法の問題点のひとつには天誅ならぬ人誅を許してしまうことで、法(司法権力)で裁けないものを情報公開で社会的抹殺してしまうことはどうかな、とおもう。ミーガン法の危うさを示唆する場面は他にもあって、ミーガン法を利用したコミュニティの形成である。身元が公開されているが故に、同じ性癖を持つ人同時がコンタクトを取れるようになってしまう。これは物語の核にもなっている。
主人公に共感するわけではないけど、私は私憤で性犯罪者を殴ってしまう気持ちは少しわかる。人間のもつ性向は、ペドフィリア(小児性愛)、ズーフィリア(動物性愛)、バイセクシュアル(両性愛)など多種多様である。物語に出てくるのはこれらの性向とは少し違った"切断性愛者"が出てくる(サディズム、加虐嗜好とも言えるのかな)。
切断性愛とは、文字通り切断が好きな性向である。これは、反射的に直感的に怖い、と感じた。小児性愛、動物性愛、両性愛というのは愛でる行為からくるので理解できるけど、切断は理解できない。切断性愛者のカメラのフィルムを現像すると、切断された人の手の写真が出てくるシークエンスがあって目を逸らしたい気持ちになった。こんな性犯罪に接していたら頭はおかしくなるよ。
物語の最後、主人公は切断性愛者を銃で殺そうとする。切断性愛者は
「殺せ。あなたの中に私がいる」
と言う。犯罪者を殺してしまおうとする主人公自体が、犯罪者と何一つ変わらないという危うさがこの物語に緊張感を与えていて良かった。おすすめ。

*原題のThe Flockは登録された性犯罪者達のこと。劇中でも何回かリチャード・ギアが言ってます。邦題がセンスないのがこの映画の一番だめなとこだなぁ。