[映画]フィクサー/ジョージ・クルーニー

三宮にて。面白い。ただデートで見る映画ではないですね、お隣りは眠たそうにしていました。もみ消し屋(Fixer)として企業の裏事情を処理する男(ジョージ・クルーニー)は大企業の処理に当たるのだが、次第に彼の手に負える問題ではなくなっていく。
最近では船場吉兆の食べ残しを流用していたことが挙げられるように、企業倫理は一般世間の倫理を簡単に越えていく。むしろそのような汚いところを平然とやってのけることが評価される、ということはままある。劇中でティルダ・スゥイントンが演じる女性は企業のスキャンダルを露見させないために殺人まで犯してしまう。彼女を殺人に駆り立てたのは狂気ではなくむしろ真面目さであって、企業と言うハコモノを介して倫理を超えてしまう。わかるな、そういうの。程度の差はあれ世間では良くあることだと思う。昨今コンプライアンスがとり正されたのもその防止策だろう。
映画に出てくる人物は主人公を含めてみんなどこか駄目な奴である。駄目な奴らが理路整然とした法律に取り巻いていて、駄目の繰り返しに主人公は頭にきてしまい復讐にうってでる。その瞬間にカタルシスがあって爽快だった。おすすめ。

MY BLUEBERRY NIGHTS/ウォン・カーウァイ

大阪梅田にて。とっても良かった。映像の切り取り方やテンポが独特で面白い。特にブルーベリーパイにアイスが溶けて溢れるように流れていく映像は色気すら感じた。ストーリーは人の愛しているから憎い、憎いけど愛しているといった弱い部分を肯定的に捉えているようにおもった。
冒頭、ジュード・ロウが営む飲食店にノラ・ジョーンズがやってくる。浮気されて傷心のノラ・ジョーンズはブルーベリーパイを食べながらその胸の内を語るのだが、このシークエンスがすごく良い。店には人々が忘れていったたくさんの鍵を入れている瓶がある。なぜその鍵を捨てずに置いているのか聞くと、「もし鍵を捨てたら、その扉は永遠に開かなくなってしまう。僕にはそんなことはできない」と答える。素敵な言い回しでクラクラしてしまう。このシークエンスだけでぐっと引き込まれたのだけど、作品全体を通してこうした心に残るセリフが散りばめられていて良かったな。
また冒頭、ジュード・ロウは言う。ブルーベリーパイは理由もなくいつも注文されずに残ってしまう。けれど必ず一つはないと寂しいので作ってしまう、と。
ストーリーに出てくる人物は、みんな愛する人を憎んでいる。けれど彼女らは離れることができずにいる。愛して、憎んで、最期に喪失して彼女らは愛する人の大切さを知り、前へ進んでいく。人の感情である愛憎はブルーベリーパイのように理由がない(わからない)もので、えてして失ってから大切に気づくことになる。私自身もそういう経験はあるし、それは自分を変える経験だったとおもう。それが最後のセリフ「君は変わった?それとも僕が変わっただけかな」に繋がっていく。
そこから作品のメインビジュアルになっている、カウンターに伏したノラ・ジョーンズジュード・ロウがキスをするシーンがクライマックスを飾る。おすすめ。

天然コケッコー

シネ・リーブル神戸にて。監督は山下敦弘。脚本は渡辺あや。今年夏一の映画。よかったです。島根県の田舎町に越してきた少年と、彼の同級生となる少女のお話。小学校、中学校あわせて7人しかいない小さな村の一年を通して物語りは進んでいく。
この映画は、ストーリー自体は最後まで大きな場面を迎えることはないのだけれど、ひとつひとつのシークエンスが繊細で切なかったり、くすりと笑ってしまうおもしろさがある。その中心にいるのが主人公のそよ(夏帆)である。そよがね、良いんだ。まっすぐにものごとを見つめて捉えようとしているその姿勢が。姉妹同然の子供たち、学校の先生たち、家族、そして東京からやってきた少年。仲むつまじく暮らす生活に少年はそよに変化をもたらす。そよは少年と一緒に居たいがために六歳の女の子を放ったらかしにしてしまい、女の子は病気になってしまう。それをそよは「恥ずかしい」と自分を恥じる。この年頃の女の子ならそういう新しい感情に直面し、葛藤するのだとおもう。少年もこの歳でありがちな、がさつで無神経だけれど繊細な感情を持っていたりしておもしろい。
そよや少年が持っていたものは私は失くしてしまった。大人になれば嘘もつくし駆引きもする。思ってもないことを言わないといけないこともある。だけど彼女らはまっすぐにものごとを見つめていて、自分自身に嘘がない。だからこそすれ違ったり悩んだりもする。大人の複雑な関係であったり、子供同士の仲間はずれ。けれど、その心はとてもきれいだとおもった。
また方言がよかった。音がとてもきれいで会話が心地良い。自然とその音も良くて、何気なく映る自然にはっとさせられるシークエンスがたくさんあった。ありがとうを言いたくなる映画。おすすめ。

消えた天使/原題:The Flock

三宮シネフェニックスにて。面白いし映画としては演出も良かったのだけど、人間の欲望に直に接したような気持ちになって怖かった。作中では説明はないのだけれどアメリカにはミーガン法(Megan's Law,Megan act)という、性犯罪者をさまざまなメディア、場合によってはインターネット上に公開する法律がある。本作はそのミーガン法により身元を公開された性犯罪者の監査官(主人公/リチャード・ギア)のお話。

怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵を覗き込む時、その深淵もこちらを見つめているのだ。
(フリードリッヒ・ニーチェ 『ツァラトゥストラはかく語りき』)

物語はこの言葉で始まり、この言葉で締めくくられる。監査官として性犯罪者という深淵を覗き込む主人公は、ちょっと頭がおかしくなっていた。再犯するやつは何をしても再犯する。彼にはその考えが根底にあり、夜中に性犯罪者を待ち伏せてバットでボコボコにしてしまう。
ミーガン法の問題点のひとつには天誅ならぬ人誅を許してしまうことで、法(司法権力)で裁けないものを情報公開で社会的抹殺してしまうことはどうかな、とおもう。ミーガン法の危うさを示唆する場面は他にもあって、ミーガン法を利用したコミュニティの形成である。身元が公開されているが故に、同じ性癖を持つ人同時がコンタクトを取れるようになってしまう。これは物語の核にもなっている。
主人公に共感するわけではないけど、私は私憤で性犯罪者を殴ってしまう気持ちは少しわかる。人間のもつ性向は、ペドフィリア(小児性愛)、ズーフィリア(動物性愛)、バイセクシュアル(両性愛)など多種多様である。物語に出てくるのはこれらの性向とは少し違った"切断性愛者"が出てくる(サディズム、加虐嗜好とも言えるのかな)。
切断性愛とは、文字通り切断が好きな性向である。これは、反射的に直感的に怖い、と感じた。小児性愛、動物性愛、両性愛というのは愛でる行為からくるので理解できるけど、切断は理解できない。切断性愛者のカメラのフィルムを現像すると、切断された人の手の写真が出てくるシークエンスがあって目を逸らしたい気持ちになった。こんな性犯罪に接していたら頭はおかしくなるよ。
物語の最後、主人公は切断性愛者を銃で殺そうとする。切断性愛者は
「殺せ。あなたの中に私がいる」
と言う。犯罪者を殺してしまおうとする主人公自体が、犯罪者と何一つ変わらないという危うさがこの物語に緊張感を与えていて良かった。おすすめ。

*原題のThe Flockは登録された性犯罪者達のこと。劇中でも何回かリチャード・ギアが言ってます。邦題がセンスないのがこの映画の一番だめなとこだなぁ。

時をかける少女/筒井康隆

フジテレビにて。これは面白い。筒井康隆の作品としては、ジュブナイル向けの珍しい作品だけどプロットが良く練ってあり、最後には爽やかなカタルシスがあって気持ち良い。
映画はプロットを理詰めで作るとしばしばうんちく映画になってつまらなくなる。かといってストーリーのみに力を入れると監督の自己満足映画になってしまう。
この映画は(というか筒井康隆は)プロットとストーリーの兼ね合いがうまい。細かい説明や辻褄あわせの削ぎ方が上手だなって思った。それができてる作品は大抵面白い。ラッキーナンバー7もそういう作品だった。(具体的に言うと千昭はタイムリープの種を落とす前に戻れよ、なんて野暮なことも言えるけどそこを言及する気にはならないし本質はそこではない)
また小ネタとして昔の実写版時をかける少女の主人公の芳山和子が、図書館の職員として出てくるのも面白い。軽いミスリードでもある。
夏を描いた映画は好き。高校の頃、お金がなくて何もすることがなかった。川の終わり、海に交わる河口でただただ喋った。あの頃を少し思い出して切なくなった。おすすめ。

ラッキーナンバー7/ジョシュ・ハートネット

yurara19862007-06-22

原題LUCKY NUMBER SLEVIN。ジョシュ・ハートネット主演、豪華共演陣によるクライムサスペンス作品。これはおもしろかった。ジョシュ扮するスレヴンが冒頭からしばらく腰にバスタオル巻いた状態でウロウロするなどコメディタッチでテンポ良く進むのだけど、その中にも複線が張り巡らされていて良く練られている。中盤から後半にかけて、ジョシュが拳銃を握ったあたりから断片的な情報が繋がっていき話の核心が見えるのは気持ちよかった。
またなにより会話がおもしろい。会話が面白い話は映画でも本でも好き。ルーシー・リューがセリフで
「あなたがもし今日の夜まで殺されずにすんだら、ふたりでディナーを食べようね」
なんて言うのはすごくキュート。ルーシー・リューといえば「チャーリーズエンジェル」や「アリーmyLove」で有名だけど、この映画の役が一番あってるとおもう。
終盤では種明かしのようなストーリーの過去の映像が流れてくるので謎解きが苦手な人でも分かると思うけど、冒頭は細かいことにも気を配って観ておくことがおすすめ。いろいろな伏線やヒントがちりばめられてます。私は飄々としている不運な男スレヴンの謎が途中で解けたのだけど、脚本が良く謎が解けたあとでも物語の勢いはとまらない。そんなところがこの作品の魅力なんだとおもう。おすすめ。


*余談:唯一残念な点はモーガン・フリーマンやサー・ベン・キングスレーも出演しているのだけど、凄みがなくマフィア役としてはちょっとあってないと思う。怖さもありかつ色気もあるジャック・ニコルソン辺りを使って欲しかったな。

"The Sience of Sleep"(恋愛睡眠のすすめ)/ミシェル・ゴンドリー

yurara19862007-06-07

神戸シネ・リーブルにてレイトショー。なきそうなくらい切なくて可愛いらしくて、不思議な余韻が残った。すごく良い。ミシェル・ゴンドリーの泉のように湧き出るアイディアと独特の世界観を創る音楽。1秒タイムマシン、災害論カレンダー、植物の乗せたノアの箱船、ちょっと可笑しなぬいぐるみのポニー、セロファンのおふろ、段ボールでできたステファンTVのスタジオ。すべてのアートワークがキュートでくすりと笑いたくなるようなシークエンスばかり。すべてが瑞々しい。素敵。
主人公のガエル・ガルシア・ベルナルは大人になりきれないオトコノコ、である。想像の中で、意中の相手と架空の男が仲良くしてることに嫉妬し、勝手に失望する。男から見ると情けなく仕方のない子供なんだけれど、男なら少なからず経験があると思う。例えば意中の人が知らない男と楽しく食事を取っているところを見て、勝手に失望し暗い気持ちになる。その気持ちは恋人がいるなら恋人への束縛に。いなければ自分自身への束縛になる。
子供の頃、嫌なことがあれば布団を被って自分が観たい夢を創った。それは夢と現実いり混じった不思議な世界。でもそれは大人になるにつれて見えなくなった。ガエルは大人になってもなお夢と現実を彷徨っていて、観客として客観的にその様子を観ると情けなく見えるのですが共感も覚えてしまう。だって現実は上手くいかなく厳しい。だから自分を客観的に捉える作業は辛く避けたくなる。
「みんな同じ。でも君だけが違った。ただ君が僕を好きになってくれないだけなんだ」
夢は、必ず覚める。ガエルのセリフだけれどやっぱり現実は厳しい。
でも面白いことに前作の「エターナルサンシャイン」の記憶の中の彼女もだけど、夢の中の彼女はいつだってガエルに協力的で勇気を与えてくれるんだよね。嬉しそうにプロポーズを迫る彼女にガエルは言う。
「Would you marry me?」
「Yes!」
告白に素直に答えられなかっただけで、本当は彼女はガエルのことが好きである。やはりガエルの夢は自分自身を束縛していたのです。
物語が夢と現実に明確な区別を与えないからこそ(夢と現実を対立として描かない)、境界線のない世界が無制限に広がっていって面白かったし切なかった。おすすめ。